その日、女神達が人々の信仰に感謝し、祝福を行う10年に一度の壮大な祭りが行われていた。
広大な土地と国力を持つ、この国が総力を挙げて行う「三神祭」は、現在実質神々の頂点に位置する「大地の竜」グラムと、その妻「風王光妃」セレスティナとの間の三人の娘、「剣の女神」エルヴィナ、「智の女神」ワルキューレ、「光の王」フレイアが人々の前に降臨し、を祝福を授ける。
神々が直に人々の眼前に降臨することは世界的にも非常に希であり、それ故、この祭は世界最大の祭りに名を連ねる。
多くの人々は、この時とばかりに羽目を外し、呑み、歌い、踊る。
この日だけは、全ての諍い事を忘れ皆が笑顔になり、夜が明けるまで騒ぎ倒すのだ。 街のあちこちでパレードが行われ、祭りの盛り上がりは最高潮を迎えていた。
そんな街の喧噪から離れた森の中を、黒い装束を纏った男が、白い布にくるんだ小さなものを脇に抱えて走っていた。
闇に紛れる為の装束から見え隠れする白い布。それは、中のモノを包み、守る為のもの。 時折、その布の中を確認しつつ、男は森の道無き道を無言で、ただひたすら走っていた。
布の中の存在を確認するたびに、口元は邪な喜びに歪み、その狂気を帯びた赤い瞳を細める。 三女神の降臨するこの夜。男は、何よりも許されない罪を犯していた。
10年に一度の、この祭りの夜。しかし、今日、この日の祭りは他の意味も込められていた。三女神の末妹、「光の王」フレイア。かの女神に今年、6番めの子供が生まれたのだ。その小さく、新しき女神の誕生を祝う生誕祭としての意味が。
その、特別な日に、男は―― 。
程なくして、男は十数名の兵士に追いつかれ、囲まれていた。 道もない深い森の中を、単身で走る男に追いついた訓練された兵士達。
肩に紋章が刻まれた、蒼銀のプレートメイルを着こむ、この国の精鋭部隊だ。 その一人が銃を構え、男に近づく。
「もう逃げられんぞ。抵抗を止めて投降しろ」
彼の交渉の間にも、兵士達は木々の影に隠れ、男との距離を慎重に詰める。 しかし、男の罪の証は、未だ男の手中にあった。 それを傷つけるわけにはいかない。
慎重に行動し、無傷で取り戻さなければ。
しかし、目の前の男の異常な瞳に睨み付けられ、平静を保つのがやっとの状態だ。 だが、男にその意志を汲む必要など全くあるはずがない。
「滅壊衝波《ブレイク・フォース》」
手を出せない兵士達を嘲るように、男の魔法が発動した。
滅属性上位の攻撃魔法。
突然の魔法の発動に兵士達は反応することが出来なかった。なぜなら男は詠唱もなく、魔法を発動させたのだから。
男の足下から周囲に向けて凄まじい衝撃波が放たれ、不意を突かれた兵士達を吹き飛ばし、地面に、木々に強烈に叩きつけた。
魔法は本来、精霊や世界に干渉するために呪文を詠唱しなければならない。 これを省くためには卓越した魔力操作と、数多の契約を交わし、時に体に刻印を刻む事が必要となる。 魔法が上位のものになればなるほど、その呪文詠唱は重要な意味を持ち、必然的に長くなるし、その修得にも多大な時間がかかる。
しかし男は滅属性上位に位置するこの魔法を、詠唱することなく発動させた。
それは男が卓越した魔法の使い手だと、無言のうちに示していた。しかもマスタークラスの。
しかしそれはあり得ないことだった。
男は半年前、街の郊外で行き倒れている所を発見され、記憶喪失だった為、保護された。
潜入を目的として作為的に魔力を封じ、保護され、施設に侵入する者は少なくはない。故にそうした魔法の形跡、魔力の有無を検査したが、彼にはその反応は出なかった。 無論、魔法の為の刻印など体に刻まれてはいなかった。
この情報から、男は武器や無手を得意とした戦士だと想定された。
だが、この想定を大きく外した強力な魔法攻撃により、部隊は壊滅的な打撃を受けてしまった。
衝撃波を受け、動かなくなった兵士達へ与えた損害を確認しようともせず、男は再び走り出す。 後続の部隊が、後方の木立から姿を現し、男に追いすがる。 しかし、男は白い布にくるまれた小さな命…ワナセリスを兵士達に見せつけるように黒い装束を翻して見せた。 男を狙撃しようと狙っていた兵士を、その部隊の長が静止する。
彼女の無事が最優先であるため、兵士達は一切の手出しが出来ない。
一定の距離を保ちつつ、男を追うことしか出来なかった。
やがて、男は森の最深部へとたどり着く。 そこは深い、深い青の水面にうっすらと霧が漂い、木々の間から射し込んだ月明かりが反射し、あたりに幻想的な色と存在感を持つ池。
池の畔に立ち、男は自分を追って来た兵士達へと向き直った。ワナセリスを左脇に抱えたまま。
夜の闇の中に挿す月光、黒の装束から覗く男の瞳はその光よりもなお明るく赤く輝き、獣の様な鋭さを持っていた。
まるで、これから来る敵を待ちかまえるように……。
「聖体障壁《ホーリーウォール》、「二重聖閃《ダブル・レイ・ディン》」
突如、男が逃走してきた森の中から声が響く。同時に男の抱えたワナセリスがまばゆい光の繭に包まれ、森の闇の中から二本の閃光が男に向けて放たれた。
「魔導破裂《マジック・ブラスト》」
青い炎が男の右手から放たれ、光線の一本を包み込み、同化して消えた。
しかし、残る一本が男の脇腹を貫く。
「炎閃刹那斬《フレイム・ザッパー》」
が、男はそれを気に止めることもなく、魔法で炎の鞭をその手に呼び出し、閃光の走った方に向けて、振るう。
「ガルムバルデ!!」
叫び、森から金髪の女が現れた。
彼女は左手に炎を纏った剣を持ち、男の振るった鞭を目にも止まらぬ斬撃でなぎ払う。払われた炎の鞭は、近くの木々を数本切り倒し、男の手に戻った。
男は彼女の姿を確認すると、赤い瞳を細め、邪な笑みに歪めた口を開く。
「魔剣の聖獣使い、勇者、ミスティーナ・フィルティグス殿……お会い出来て光栄ですなぁ」
男の視線の先には、月明かりに照らされ、美しく輝く金髪の女性が立っていた。 長い髪を頭の後ろで縛り、蒼い瞳を度の入った丸眼鏡で隠した剣士。
彼女の傍らには、炎で形作られた豹が控えている。
「貴方の企みはここまでです。これ以上の抵抗を止め、ワナセリス様をこちらに渡しなさい」
レンズ越しに厳しい視線で睨み付け、男を牽制しつつ、ワナセリスを取り戻す機会をうかがう。
こんな異常な瞳をした男だ、一筋縄には――
「構いませんよ。ただし…!」
男は意外な答えを返した。しかし――!!
祖のみを翻し、池の中心に向けてワナセリスを放り投げた。
突然の男の行動に、ミスティーナは咄嗟に走り出し、池の縁を蹴り、水面へと跳んぶ。
――この子は、絶対に……!
限界まで両手を伸ばす。いつの間にか剣は手を離れ、池に沈み、盛大に蒸気を吹き上げた。 構わず、必死に、腕が外れんばかりに手を伸ばす。指が、ワナセリスを包む布に届く。
――あと少し、……あと少し!
指に絡んだ布を引き寄せ、ミスティーナは、ワナセリスを胸にかき抱いた。
「アルポシアス!!」
水に没する直前に、水の聖獣を呼ぶミスティーナだったが、聖獣はその言葉に答えなかった。 予想外の出来事ではあったが、ミスティーナはワナセリスを庇い、池の中に落ちる。
「ふはははは、これで……これで!! 我が世界にも神が!! 神が降臨されるのだ!!」
異常な赤い瞳で、男は高らかに笑った。 水がミスティーナの肢体に絡みつき自由を奪ってゆく。
「ミスティーナ・フィルティグスよ、お前のその間抜けぶりに感謝するぞ!
この扉<ゲート>は神の使者の資格を持つものを捧げる事によって我が世界へと通ずるのだ」
男が叫び、語る間にも池の水は輝きだし、その水面に魔法陣を描く。
周囲から走り込んでくる兵士やライフルによって撃たれていたが全く構わなかった。
「私の世界には争いが溢れ、殺人が絶えず。弱気我々はただ神に祈るだけだった。だが、神は助けてはくれなかった。
……何故だ!! 長き苦悩の末、私はある結論に至った。そう、私の世界の神は、すでに無いのではないか。 争いをやめない、愚か者どもを見て、神は呆れ果て、去ってしまったのだと!!」
男が語り出すと、駆け寄ろうとした兵士達が喉をかきむしり地に伏しもがき始めた。
光が魔法陣を描く中、ミスティーナは必死にもがく、ワナセリスが水に浸からないようにしているため、余計に動きが制限された。
そのミスティーナと周囲の兵士達をを小気味よさそうにながめながら男は語り続けた。
「そこで私は神を世界に呼ぶことを考えた。この考えの実行のために私は悪魔と契約をし、この世界へとやってきたのだ」
もう森の中から助けが入る事もなかった。
木々の間や地に伏した兵士達から中からうめき声があがる。この周囲の木々は男の魔力によって操られ、兵士達を絡め捉えていた。
「さぁ、儀式に使う生け贄、供物ともにそろった様だ。今こそ、世界を渡り、わが世界に神を! 永遠の祝福を与えたまえ!!」
池の周囲一帯から発せられた、溢れんばかりの光りが、天を貫く槍のように空へとのびた。
男と兵士達は光の中に溶けて消え、ワナセリスを抱いたミスティーナは光の繭となり、ワナセリスを包み込む。 繭に包まれたワナセリスは、天を貫く光を辿り、漆黒の空へと消えていった。
こうして、男の願いは成就した。男自身の命と、兵士数百名とミスティーナを生け贄にして。
夜空の月光を映す池のみなもは風に揺らぎ、周囲は闇の中の静寂を取り戻していた。